OSHOナタラジ瞑想

~瞑想としての踊り~

 

 

 

 

自我、エゴの中心である踊り手を忘れ、踊りそのものになりなさい。それがこの瞑想法だ。「あなた」が踊っているのをすっかり忘れ、自分が踊りそのものだと感じるほど深く踊りなさい。区別、分裂は消えなければならない。そうしてはじめて、踊りは瞑想となる。踊りと踊り手の間に区別があれば、それは一種の体操だ。健康的でいいものだが、霊的精神的とはいいがたい。それではただの踊りにすぎない。踊り自体はいいものだし、それはそれですばらしい。踊ったあとには、新鮮で若々しく感じる。 だが、それはまだ瞑想ではない。踊り手が消え去らなければならない、踊りしかのこらなくなるまで・・・。さて、それではどうするか?  全面的に、徹底的に踊りのなかに入り込むことだ。というのも、徹底的にあなたが入り込まない限り、あなたは分裂したままだからだ。脇に立って自分の踊りを傍観しているのであれば分裂は残ってしまう。あなたが踊り手で、しかもあなたが踊っている。だとしたら踊りはただの行為あるいは演技になってしまう。 あなたが行っているものにすぎなくなる。それはあなたの存在そのものではない。だから、徹底的に没入し、踊りの中に溶け込んでしまいなさい。傍らに立っていてはならない。傍観者であってはならない。没入するのだ!

 

 

OSHOナタラジ瞑想法

 

ナタラジは、全面的な踊りとしての瞑想です。3つのステージからなり、全部で65分です。

第1ステージ 40分
目を閉じたままとりつかれたように踊ります。無意識の層が、自分を完全に乗っ取るにまかせます。動作をコントロールせず、また起こっていることの傍観者であってもいけません。ただ、踊りの中に全面的に入り込みましょう。

第2ステージ 20分
目を閉じたまま、すぐに横たわります。静かに黙って、じっとしています。

第3ステージ 5分間
祝福のなかで踊り、楽しみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                         

 

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