瞑想は冒険だ
それは,人間の精神が引き受けることのできる、最も偉大な冒険だ
瞑想とは何もせずにただ在ること。。
行為も、思考も、感情もない。
ただ在るだけで、それがまったくの喜びとなる。
何もしていないのに、この喜びはいったいどこからやってくるのだろう。
それは、どこからともなくやってくる。
それには原因がない。
なぜなら、私たちの実在は〈喜び〉という素材によって造られているからだ。
◆瞑想とは?
何もしていないとき、、肉体的にも、精神的にも、どのレベルにおいても
すべての行為が止み、自分がただたんに在り、存在そのものであるとき、
それが瞑想だ。それを試すことも修練することもできない。
それは理解しなければならないだけだ。
ただ在るための時間が得られるときには、すべての行為を落とし、
考えること、集中すること、黙考することもまた行為だ。
たとえほんの一瞬でさえ、何もせず、ただ自分の中心に完全にくつろいでいられるなら・・それが瞑想だ。
ひとたびそのコツを会得すれば、好きなだけその状態にいられるし、ついには一日24時間その状態にとどまることもできる。
ひとたびあなたの本性が乱されない方法に気づけば、徐々に自己の本性が妨害されず、しかも注意深くありつづけながら、物事をすることができるようになる。
それが瞑想の第2の部分だ。
最初はいかにして「ただ在る」かを学ぶ。それから単純な行為を学ぶ。
自分自身の中心に定まったまま、床を掃除したり、シャワーを浴びたりする・・。
そうしているうちに、より複雑なこともできるようになってくる。
だから、瞑想は行為に対立しているものではない。
それは、この生から逃避しなければならないたぐいのものではない。
それは、生の新しい道を教えるにすぎない。
あなたは台風の目(サイクロンの中心)となる。
あなたの生は続く。それどころか、それは以前より強烈に継続する。
より一層の喜びと、より一層の明晰さと、より一層のヴィジョンと創造性を伴って。。
それでいて、あなたはただ『丘の上のものみ』として、超然と自分のまわりで起こっているすべてをみている。あなたは行為する者ではない。
ただ『見守る者』。
『見守る者』『観照者』になることこそが、瞑想における秘密のすべてだ。
OSHOは、許可を得て使用されるOSHOインターナショナル財団の登録商標です、 www.osho.com/trademarks
ここで使用されるいくつかの材料(画像やテキストの抜粋)は、著作権©OSHOインターナショナル財団にありますwww.osho.com/copyright
OSHO is a registered trademark of Osho International Foundation, used with permission, www.osho.com/trademarks
Some material used here (images and text excerpts) is Copyright © OSHO International Foundation, www.osho.com/copyright